今ふたたび、そばの味革命コラム

Column

真そばの味研究所

大変な出来事・貴重な体験

かって日本中のそばの味を革命的に美味しく変えた「江戸そば流」を基本に、「真そば流」で「日本を健康に、今再び・そばの味革命」を夢に育んでいるそば屋のオヤジは、この10月(2021年)に、又々、常識を覆す?、否・貴重な体験をしました。

「寛ぎの味 そば打ち爺の夢だより」出版に合わせ、
チャーボーが描いてくれた似顔絵(挿絵)。

実は・・・新型コロナウイルスの第5波蔓延による緊急事態宣言で、酒を取り扱う飲食店への休業要請があり、8月27日~9月30日まで臨時休業をしていた期間に大変な事が起こり、これがキッカケとなって経験したものです。

危機を乗り越えた後に、大変な出来事だったけど貴重な体験に変えることが出来た!・こんな事が起きなければ経験出来なかっただろうなぁ・・・と振り返っています。
少しだけ触れますね。
今年も・・・やっぱり異常気象、で暑かった夏、こんな時に穀物用冷蔵庫(写真右)が壊れて・・・少なくとも半月以上(壊れた初日が不明)、あろうことか30℃越えの時期に蕎麦の実を放置しなくてはなりませんでした。

1年分の素材(玄蕎麦)を保管しています。

但し、これから使用して行く実は、隣の空の冷蔵庫(写真左)に移し、種用の予備(今年は異常気象で発芽状況が悪くても蒔き直しが出来なかった為に残った物)が、壊れた冷蔵庫に残りました。

一段落して(修理が叶い再冷蔵して)、試し挽きをして打って食べてみると、万が一?と期待した事(冷蔵庫保管でない方が美味しくなる!?)はありませんでしたが、少なくとも不味くはなく・美味しかったのです。

いつものそばを上回(味)・・・となっていたら、価値観がまるで変わる事になったでしょうが、放置状態で夏越しした蕎麦が不味くなっていなかった事だけでも驚きの結果で、こんな事がなかったら経験することの出来ない大きな収穫です。

何故不味くならなかったか?この領域は、そば屋のオヤジの分野では無いと思いますので、今後の研究はそこに預けるとして、そば屋のオヤジは、貴重な体験を美味しいそばづくり生かしてゆきたいと考えています。

江戸そば流の教えを覆す(?)、とっても貴重な結果を含めて、この夏に起こった大変な出来事を以下に記しますので、そば好きの方は是非、最後まで目を通してみて下さい。

放置した期間に、1%強乾燥が進みましたが、10割そばがいとも簡単に打ててしまい、そばになった時の色は、逆にいつもより綺麗(白く)で、新鮮味も新そばに勝るとも劣らない味でした。
(ホームページ「真そばの味研究所」・10/12に記した「新型コロナ対策緊急事態宣言・臨時休業で貴重な体験!・「挽き置き粉」が勝る!」も、これと同じく臨時休業に関係する貴重な体験でした)

では・先ず、序説から。
そば屋のオヤジになる前の仕事を通じて、そばDa迷人の蓄財は、金銀財宝や名誉を得る事では無く、生きた証の満足が一番と考える様になり、「昔人生50年。今人生75年。25年学び、25年働き、残りの25年は人生を楽しむ」と公言すらするようになっていました。

50歳になった時の出来事で、その考え通り・卒サラを決め込み、現在のそば屋のある坂祝町深萱の里で、農業委員会の承認を得て耕作放棄地を借り、先ず百姓になりました
時の流れとともに変われば変わったもので、少し前までは、農地を借りて農業主になることは夢の又夢、農地の取得が出来ない限り・なれない職業・・・、つまり、農家に生まれないとの農業主になる道は、ほぼ閉ざされていたのです。
それが・・・わずか30年弱の月日が流れただけで(日本の食糧自給率の激減に伴い)3反(坂祝町では30a以上)の農地を農業委員会の承認を得て借りれば農業主と認定されるのです。
そばDa迷人は、そば屋のオヤジになる前、つまりそばの里深萱ふ~どの開店2年前に、約4反(40a)の畑を借りて、先ず百姓になりました。
この畑で、開店前までは、ソバ栽培はメインではなく、色んな野菜の栽培をしていました。
そば屋のオヤジになった今は、ソバ栽培だけとなり、野菜の栽培(ネギを含めて)までは、とても時間が足りなく、諦めました。
夏の草刈り、半端じゃありません。

トラクターは、耕起専用と草刈り専用の2台。

店周辺を綺麗に保つだけで大変ですが、6反(60a)弱のソバ畑、夏は・・・本当にクソ暑い夏は2週間もすると直ぐに草ボウボウです。

(余談ですが、「この畑も使って欲しい」と依頼が今も続いていますが、1人では限界・徐ろにお断り中です)

弱音を吐かないで、閑話休題!。
2021年のソバ栽培は、畑を借りて(百姓になって)23回目に入りました。
50歳で卒サラしたそばDa迷人、もう直ぐ73歳になる訳です。
この23年間で、とっても大きな変化がありました。
この期間中に、ボク等(チャーボーと)は4人の両親を全員見送りました。
又、畑を貸してくれた方・・・の多くの方ともお別れしました。
中には、お別れでは無くとも、施設に入所中や認知症が始まり、ご本人とは話しが出来なくなったりしています。

23年間の月日が流れた・・・こ・れ・は!、大変なことなんです。
そばDa迷人も、日本男児の平均健康寿命を越えました。
体力の限界近し、そろそろ借りた畑を「長い間ありがとうございました」と返さなければと考えるのですが、貸して下さっている方の事を思うと、軽々しく「ありがとうございました」と言えそうに無い状態です。
OS1(薬局で販売する経口補水液)や芍薬甘草湯(筋肉異常の即効性漢方薬)を頓服しながらソバ栽培をするボクを見かねたチャーボーは「畑、もう返したら?」とアドバイスしてくれますが「返すに返せんやろ?、殆どボクより年上の人やゾ。認知症や入所者、女手一つの人もあるし・・・」と返すと「薬飲んで、マーチンの方が心配やよ」と。

漢方薬で速効薬:手放せなくなりました。

「ピンピンコロリや。元気なうちは顔晴るは」。
こんな調子で、出来る限りは!と農業継続(ソバ栽培)を決意した時でした。

昨年の刈取り時に「歳を取ったし、家内の調子が良くないので、来年のソバの刈取は出来ないかも」と聞いていた方から、「やっぱりもう出来ない」と宣告されてしまいました。
ありゃりゃ・・・否応無しに百姓は終わりか?否、畑は返せないので草刈りだけの百姓継続か・・・?何て思いましたが、有り難いですね・相談をかけた友人が「分かった、ワシが引き受けたるわ」と。
ここ坂祝から、車で2時間近くかかる地から刈取り機(汎用コンバイン)を運んで暮れると言うのです。

汎用コンバインは、ソバだけでは無く、豆・菜種・麦等何でも刈り取ります。

嬉しい・有り難い事が、やっぱり起きてきます。
(お金のことを考えていたら、蕎麦の実を仕入れしていた方が、どれだけ経済的か・計算しなくても分かります。しかし、こんな嬉しい・有り難い出来事には巡り合えません。今のボク等の生き方に沿った出来事が確実に続いています)

安心に次ぐ安心をさせて貰っていたら・・・。
新型コロナの第5波で・・・それまでは時短要請(午後8時まで)だけだったものが、今回は「昼の営業だけでも、酒を提供する店には休業要請です」と。
これはこれで仕方がありません・・・?、否々、これ又余談ですが、この臨時休業があったため、兼ねての懸案だった自宅母屋の解体に関する片付け作業をする事が出来ました。
単純に、ほぼ全部処分の片付けをするだけでも、この臨時休業期間を使い切ってしまいました。
もっともっと時間があれば、未だ使える物と処分する物を分別して・・・リユーズ・リサイクル等の処分が出来たかも知れませんが、休業が長くては・・・。
この期間は、ボク等にとって、思いもよらない有り難い時となりました。
おかげさまで、自宅母屋の解体は、順調に進んでいます。
(閑話休題)

機械の力は凄い!・あっと言う間に壊して行きます。

実は、この臨時休業の期間中に、各地で被害をもたらせた凄い雨(雷雨)の日が何日もありました。
自宅では、エアコンと電子レンジが雷の被害を受けました。
これまでは、坂祝の店の方が雷被害(厨房の大型冷蔵庫やエアコン)は多かったので、そちらが心配でしたが、今回は何ともなさそうでした。
が・・・、店の休みで、粉挽きもありませんから殆ど行く事の無かった農業倉庫(1年分の蕎麦の実を保管する冷蔵庫が2台ある建物・別棟のログハウス)に久しぶりに行くと・・・。
大きい方が24℃を示しているではありませんか。

大型冷蔵庫購入時です。ギリギリ・・・入りました。

冷蔵庫の中身(玄蕎麦の在庫)は、既に10月なので少なくなってはいますが、今年は臨時休業もあり、未だ未だこの冷蔵庫1台・満杯で残っています。
更に今年は、遅くまで例を見ない・観測史上異例の記録更新の暑さで、10月に入っても連日30℃超えの高温が続きました。
慌てて・・・小さい方の冷蔵庫のスイッチを入れて、そば用に使用する分を移し替えました(予備の種用の分は、こちらの冷蔵庫には入りきりません。残念ですが、ここに残しました)。

右が落雷故障の大型冷蔵庫

そして・・・購入した農機具屋さんに連絡。
何と・何と💢(怒り)、来ては暮れましたが故障状態を確認しないで「メーカーの井関農機がOEM先を変えたのでこの冷蔵庫の部品は手に入らないので直らない」と。
「それは無い。正常に冷やしているが、庫内のファンが回っておらず、風が出ていない。先ず、その状況を確認して井関に伝えてくれ」と懇願しましたが、「電話で聞いた事を井関に話したが、このメーカーとは切れたから、部品は無いとの事で、ワシ等もこれ以上言われてもどうにも出来ないし、今は米で忙しい時だから買替えると言われても、この冷蔵庫を運び出す事は直ぐにはやれない」と。
とんでもない話になってきました。
「20年以上付き合ってきたが、こんな回答は納得出来ない。先ず、自分の目で故障場所を確認して、修理が可能か否か見てくれ。修理が不可能なら、最高の断熱を備えたボックスだからこの冷蔵庫は高くなる!と言って売ったはずなので、このボックスを活かして、上の機械部分だけ変える方法が無いかも調べてくれ」と依頼しました。
「井関は、上だけ変える方法も出来ないと言ってるから、修理は不可能」と、全く見る事もありません。
「ならば、他を当たるので、それは承諾してくれ。そこで直ったら、お宅との付き合いはここで終わるかも知れないが、農機具共々承知してくれ」と告げました。

OEM製造先を変えた事が理由と言う修理不可能の説明は納得出来ず、先ず井関農機のホームページから、社長(冨安司郎氏)宛てに、質問と修理依頼のメールを送りました。
ところが・・・返って来た内容に怒り心頭です。
「修理不可能」の内容です。

「修理不可能」との内容を担当者の氏名の記載すら無く・・・極めて不親切

社長宛に出したのに、返って来たメールの差出人は「井関農機株式会社」とあるのみで、担当者名の記入すらありません。
「内容承諾出来ないし、担当者の氏名も記入されていないメールは受理できない!」と直ちに、再び質問と修理依頼のメールをしましたが・・・今度は、音信不通?、未だに返信さえありません。
井関農機には、不信感しかありません。
取引解除を決意し、金融で出入りする農協の担当者に「農機具の担当者に相談したい事があるので連絡を取って欲しい」と依頼しましたが・・・、こちらも、梨の礫で日が流れてゆきました。

1日も早く冷蔵保管に戻さなければ・・・と焦燥感しきりです。
そんな時に、新しく刈取りをしてくれる人が打合せに来てくれました。
打合せが終わって、蕎麦用冷蔵庫の故障と、井関農機のとんでもない対応の愚痴を言いました。
すると・・・知人の厨房機器屋さんを紹介してくれて、直接修理依頼をしてくれました。
その方が、直ぐに来てくれて、庫内の部品を外して見てくれると、「庫内ファンが止まった事により、周辺が凍り付いて、温度が上がってきたことで氷が解け始めて庫内の水垂れが始まった。凍って負荷がかかり壊れたと思われる送風ファンを取り換えましょう」と説明してくれました。
修理は、井関は出せないと言う部品を他に手配しながら行う・・・と。

有難いことに、その直後に、前年までの刈取りをしてくれた人が来てくれました。

冷蔵庫に関する井関への不満で、農協に変わろうと思っているが、その農協の担当者も梨の礫!と不満をぶつけました。

すると・・・彼も、その場から農協に電話を。
翌日来てくれる事になりました。

ありゃりゃ・・・ここに来て嬉しい出来事が重なり修理もダブルブッキング。
庫内ファンの故障と見てくれている厨房屋さんに「農協の担当者も見てくれる事になった・・・」と相談がてら電話をしました。
すると・・・有り難い事です「農協さんで修理可能なら、農機具の事もあるから、その方が良い」と、こちらの事を心配しながら、了承してくれました。

本当に有り難い事です。感動の連続です。

農協の担当者は、冷蔵庫等を専門に扱う会社の社長さんと来てくれました。
すると・・・驚きです。
先ず、機械の保護等のケースを徹底的に外して調べ、「ここに電気が来とらん・・・」と言って基盤を調べ、ドライバーで2つの部品をコツン・コツンして、庫内に入り込むと、「風が出てきました。電気が流れ始めたので暫くこれで様子を見て下さい。もし、又風が出なくなったら、こことここをドライバーでコツン・コツンしてみて下さい」と。
保護のケースを元通りに付けて、農協の担当者と打合せ「もし又止まったら、上の穴に合う物(心臓機械部)が、他メーカーに無いか探してみるわ」と帰宅です。
コツン・コツンしただけで直った?!神の手か!と驚きました。

後に残った農協の担当者は「当分はこれで良いかも知れませんが、万が一の時のために、上の機械部分のすげ替えを探してみます。その時は、メーカーが全く異なっても合うものであれば良いですか?」と。
勿論了承です。
少々の不都合(温度計や照明の再利用不能でも)なんて、問題じゃぁありません。
それにしても、故障部分を正確に探し出してしまう、しかも、それをコツン・コツンだけで直してしまう技量・神の手には感動でした。

17年以上経過している事(内部的にはOEM製造先を変えた事)を理由にして直らないとしか言わなかった井関農機とは大違いです。
そば屋開始の2年前から付き合ってきた井関農機の専属販売店とも決別の時となりましたが、取扱品目が井関農機品ばかりである以上やむを得ません。
2021年、コロナ禍で大変な年でしたが、そばの里深萱ふ~どの営農活動も、大きな転機を迎えました。

残念ながら、その2日後に、庫内ファンは再び止まってしまいました。
庫内温度は、再び24℃を示していました。

農協の担当者に連絡し、翌日、心臓機械部分をそっくり交換して貰いました。
冷蔵庫の本体表示は井関ですが、機械部分は「ダイキン」表示となりました。

修理後・・・こんな冷蔵庫となりました。

ボディーの左上の表示は、「ISEKI」のままで。

右上の機械部分の表示は・・・「DAIKIN」です。

新しい機械は・・・音も静かになっています。
一見井関ですが、ここから先はダイキンの冷蔵庫が、一番新しい冷蔵となって、1年分の素材を保管してくれることになりました。

さて、23年目を迎えているソバ培、多くの事を学ばせてくれました。
そばDa迷人は、広島の逆手塾(故和田芳治さん主宰)の人達と出会った時から、趣味を3つ持って生きて行きたいと考える様になりました。
趣味でそばを打っていた頃は、「そば打ち」、「1日3通はがき描き」、「新友→親友→深友→信友→真友→心友ネットワーク作り」がその3つでした。

1日3通ハガキ描き・・・こんなハガキを描いて
「新友→親友→深友→信友→真友→心友ネットワーク作り」を楽しんでいました。

 

そば屋のオヤジになって、「そば打ち」はプロなので趣味では無くなる・・・、変えて「ソバ作り(栽培)」を加えました。
23年前の農業委員会に許可を貰う際に出会った農業関係者の方々から、「ここ(坂祝)は温暖で肥沃な地だから美味しい蕎麦の実は出来ないかも知れないなぁ・・・」と指導?して貰いました。
これが逆エネルギーになりました。
が・万一を考えて、開店前に「ご飯は坂祝産のお米で」と予定していたものをチャーボーに「坂祝産の蕎麦の実が不味くてそば用に使えないのは残念なので、実のまま炊いてお茶漬けか何かに出来ないだろうか(昔の蕎麦かゆは不味いから否とも)」と相談しました。
チャーボーが研究してくれて、お茶に変えて出汁を使った「蕎麦の実茶請け」を開発してくれました。
これは、当初、不味くて麺用にはむかないだろうと言われた坂祝産蕎麦の実を予定しましたが、そばDa迷人の不屈の精神?(単なるへそ曲がり)は、ソバ栽培の指導書や通常の栽培方法に幾つも背く方法を試して、坂祝産蕎麦は、今ではそばの里深萱ふ~どのそばの味に無くてならない貴重な素材となっています。
よって・・・蕎麦の実茶漬け用の蕎麦の実は仕入れる事となり、坂祝産蕎麦の実は、真そばの味作りに必要不可欠で貴重・重要な原材料となりました。

2020年坂祝産蕎麦の実(次年度種用)

2020坂祝産蕎麦の実(自家再調整後)

坂祝産蕎麦の実(収穫直後)

 

農業委員会の認可を受けて農地の借入れて始めた農業ですが、その後、坂祝町に5人しか無い認定農業者となりました。
が・・・そばDa迷人のソバ栽培は、この農業だけで生計を維持する事は、とても出来ません(逆に、現状は毎年かなり持ち出しています=大部分が井関農機関係に支出)。
やっぱり趣味のレベルですが、一般的な教えに背く栽培方法を試し、非適地でも美味しいソバ(原材料)が出来る事の経験を通じ、原材料を見る目を養いました。
最高の趣味で、得がたい収穫が出来たと喜んでいます。
日本男児の平均健康寿命を過ぎても尚、嬉しい・有り難い出会いを頂け、この元気の続く限りソバ栽培を続けて、温かく農地を貸して下さった方々に、もう暫く・・・直ぐに草ボウボウになる農地を預かって行く事が出来そうです。

大変な事・嫌な事も経験しましたが、結果良ければ全て良し!もう暫く・・・真そば流で、「日本中を健康に、今再び・そばの味革命」と大きな夢を育みながら、「そばの味革命研究所」、一人会員のままですが、前を向いて歩んで行きます。

 

                               「日本を健康に、今再び・そばの味革命!」と言う
大きな・大きな夢をのせて出版した本です(購入はそば屋の客室で!のみ)。

我流極めれば新流(我流も極めなければ只の我流)
自分の口に合う・美味しさを求め続ける「真そば流」です。

そばDa迷人拝

夢とそばを楽しむ会

Meeting to enjoy dreams & soba

そばで日本を健康に!&日本を真の先進国に!と楽しい夢を見る会です。
会長さんや会計さん…お偉いさんは存在しません。いるのはそばの里深萱ふ~どのオヤジ・そばDa迷人が務める“用務員”さんだけ。
とにかく楽しい夢を描きましょう。