久しぶりに3kg玉(100%蕎麦粉の量)を打ちました。
趣味のそば打ち時代は、つなぎを使った外二八で1.2kgでしたが、そば屋のオヤジになって・真そば流のそば打ちを極めるようになって、大きく打つ方が、そばが美味しくなると確信しました。
が、このところ2.5kg玉を打つことが多くて・・・3kg玉打ちは久しぶりでした。
息が切れました・・・3kg玉は、こんなに大きくなります。
日本中のそばの味を美味しく変えた“江戸そば流”の教えは「そばは小さく打って・かえしは大きく作る」ですが、そばDa迷人の“真そば流”は、真逆で「そばは大きく打って・かえしは小さく作る」が美味しいそば作りの基本と位置づけています。
大きく打ったほうが良いとする訳は、小さいと繋がりすぎてしまい、大きいと適当な切れ目が出来る事からそばが美味しくなると考えているからです。
つまり、美味しい麺作りは繋ぐことに重点を置かず、美味しさを求めて切れないようにギリギリに打つ!が秘訣です。
この説明は、2018年に発行した「坂祝発・真そば流・味革命(そばDa迷人著(ISBNコード無し)」をご参照下さい(ここでは割愛)。
そばの里深萱ふ~どにて販売中・定価:500円+税
3kg玉を打ちたい・・・と思うようになったのは、今から約30年も前、趣味でそば打ちを始めた頃のことでした。
町おこしの先駆者中谷信一さん(当時は富山県利賀村・現:南砺市利賀村の職員で現在は一社・全麺協の理事長)の話を聞き、村の人口を遙かに超える賑わいのそば祭りのそばを、雪の壁の続く季節に、食べに行きました。
不味い!・なんでこんな不味いそばを、しかも真冬に食べに人が集まる・・・不思議でなりませんでした。
次に中谷さんと会ったとき、「利賀のそばは不味い!」と言うと、「何時?・何処で食べた?」と。
中谷さんから「美味しいそばを食べてもらうから、泊まりがけで来て下さい」と。
出かけて行くと、何と・何と・・・本日の宿!と通していただいたのは、利賀村郷土玩具美術館を併設した中谷さん自宅だったのです。
豪雪村にあって、そば・おもちゃ・演劇・・・を題材に村おこし、中谷さんが率先牽引する全てが感動の話です。
その中で、中谷さんは「近頃の若者は、一緒に行くか?と誘っても、理由を付けて動こうとしない」と、村おこしを進める上での課題を、否、愚痴だったかなぁ?。
そばの話も弾んで・・・福島県の桐屋(唐橋宏)さんの話となり、「今度、会津若松で会津そばトピア会議がある。一緒に行きませんか」と誘われました。
つい先ほど、最近の若者は自らチャンスを失っている!と聞いたばかりで、断ることは出来ません。
「是非!連れて行って下さい」と。
当日、会津若松の会場です。
参加者に、中谷さん以外知った人はありません。
緊張して話を聞いていました。
自己紹介の番が回ってきました。
その時のこと、今もはっきり記憶に残っています。
「町おこしの先駆者・中谷さんの話を聞いて興味が湧き、話の中にあった利賀村の真冬のそば祭りに行きそばを食べました。残念ながら、この時のそばの不味さに驚き、次に中谷さんと会ったときに、利賀村のそばは最低でした!と言うと、中谷さんは、何時・何処で食べた?と。そば祭りの会場ですと応えると、あれは祭りのそばで、前日から打って準備したものだから仕方が無い、美味しいそばを食べさせるから是非泊まりがけで来て下さいと誘われました。出かけて行くと、中谷さんから、希な・折角のチャンスは断ってはいけないと教えて貰い、この会に、休暇を取るから・・・とお願いました。利賀村の美味しいそばは、翌日、ごっつおう館と言う所で食べた水そばの味に感動しました。この体験で、本格的にそば打ちをやってみようという気持ちになって、中谷さんに、今日・連れてきて貰いました。宜しくお願いします・・・」と自己紹介しました。
着席すると、隣の席の方が「そうか、君は中島(ごっつおう館・館長)のそばを食べたのか。中島はうちでそば打ちを覚えた。その水そばも私が始めたそばだ・・・」と。
声をかけて下さったその方は、唐橋克己さんと言い、福島県山都町宮古(現:喜多方市山都町宮古)の「なかじま」と言うそば屋さんで、この会津そばトピア会議を始められた桐屋・唐橋宏さんのお父さんでした。
どんどん・どんどん・・・縁が広がります。
唐橋克己さんから「ルーツの水そばを食べて貰うから、山都に来なさい」と。
これまた断れません・・・直ぐに予定を樹てました。
出かけて行って、最初に驚いたことは、着いたとき克己さんは、玄関前のそば打ち場でそばを打っておられました。
見たことの無い大きな玉です。
後で3kg玉と教えていただきました。
その時の克己さんは70歳。
40歳で1kg玉しか打て無いボクには驚異でした。
いつか3kg玉が打ちたい!と目標になりました。
そば屋のオヤジになって、大きな玉で打った方が美味しいそばが出来ると考えるようになり、徐々にその量を増やして行き、3kgを超えるそば打ちが出来るようになりました。
あの時の中谷さんの誘いを断っていたら、唐橋さんとの出会いもありませんでした。
3kg玉打ちの目標も無かったでしょう。
そばは大きく打った方が美味しくなるという考えにも至らなかったでしょう。
趣味のそば打ちを楽しんでいた頃は、水そばに似た仕上げ方法のそばを作っていましたが、そばの腰が弱くなることから、店のメニューには入れていませんが、3kg玉を打つときは、楽々と3kg玉を打っておられた亡き唐橋克己さんを、今も思い出しています。
月日が流れ、そばDa迷人も、あの時の唐橋さんの歳になりました。
これまで、3kg玉を打っても、疲れることはありませんでしたが、久しぶりに打ってみると・・・息が切れているではありませんか。
あの時の克己さんに、こんな姿ではありませんでした。
老化・加齢速度は克己さんより速そうだ!。
蕎麦粉10割の3kg玉のそば打ち(唐橋さんは二八そばでした)、江戸そば流儀法に改善を加えた真そば流のそば打ちです。
趣味のそば打ちは、概ね1kgから外二八の1.2kg玉でしょう。
今回、息を切らして水回し(鉢の作業)をしたそば打ちですが、一番難しい工程は、均一精度が美味しさを決めることとなる「伸し」と「切り」の作業です。
(江戸そば流では「一・鉢、二・伸し、三・包丁」と教えていますが、真そば流は「一・伸し、二・包丁、三・鉢」としています。
つまり、真そば流は、江戸流の一番難しいと教える鉢の作業が一番簡単で、伸しの作業が一番難しいと定めています。
機械に負けない均一性を求める・これは・・・至難・最高に難しく、美味しく!を重視すると伸しの克服が必要です。
この有効な練習方法は、次のそば打ち時には、粉の量を300g増加する。
次は、又300g増加して打つ・・・を続けて3kg玉打ちを目指します。
たった300gの増加ですが、均一伸しを目指すと、倍ほど難しく感じます。
しかし、逆に300g減らして打つと、あら不思議!?、思うがままの精度で打てるのです。
これが、美味しいそば打ちの最善のそば打ち上達方法と考えています。
未だ未だ、全部を書き切れていませんが、是非、蕎麦粉10割の3kg玉打ちを目指してみて下さい。
息を切らした水回しを、初めて体験したそばDa迷人、そば屋のオヤジになって20周年を目前にして、やっと3kg玉でも、思いのそばが打てる様になって来ました。
否・否・・・未だ未だ機械には負ける・つまり完成形ではありません。
均一精度のライバルは機械!、今暫く・顔晴りま~す。
3kg玉の完成は5kgにもなります。これを16枚に畳んで、特注の包丁で切って行きます。
均一伸しの成否が美味しさを決める!。何度も・・・このチェックをします。