畑の真ん中を選んで建てたそばの里深萱ふ~どは2001年10月31日に、宣伝行為や祝い事を一切行わず、そっと暖簾を掲げただけの開店をしました。
この日のお客様は8名。おぉ~末広がりのスタートか?と喜んだものです。
粋がっていたものの、この頃のそば打ち技術は、振り返ると恥ずかしい限りです。
そば好きを一人でも多く作って行きたいを目標にしたそばDa迷人が求め続けたものは、自分好みの更に美味しいそばの味です。
気づくと、そば打ち技法は、当初の「江戸流」から、ずいぶん変化、否、真逆の改善策を幾つも幾つも加えていました。
これを「真そば流」そば打ち技法と名付け始めた頃の出来事です。
「なに、弟子をとらない主義?、後継者も無い?。このそばの味は、後世に絶対引継がなくてはダメ!」と嬉しい・有り難い出来事がありました。
同じ頃「あそこのそばは、今まで食べた事のない味、別格・絶品の味!と、妻や息子が口をそろえて言ってるヨ。また連れてくるから・・・」と、時々通って下さる大阪からのお客様がありました。
開店時の思いは、1代限りの夫婦2人で人生を楽しむ舞台でした。
又、趣味のそば打ちを楽しんでいた頃に、そば屋になりたいのでそば打ちを教えて欲しい・・・と訪ねて来る人に教えていました。
この時の様子を見ていたチャーボーは「そば屋なったら、絶対に弟子を採らないでね。弟子採ったら離婚だからね!」と迫っていました。理由は、知ってる事を全部教えようとする光景が厳しすぎて、教える側と教えられる側の溝が大きすぎ、ウンザリしていたようでした。勿論、弟子の育成は頭の片隅にもなかったので、条件は丸呑みでした。
余談ですが、支店を出さないかというお誘いやそば屋をやりたいので・・・と言う希望が何件かありましたが、全てお断りをしました。
加えて・・・、実は・・・。
「そば屋、やろっかな」と言ってくれた直後の息子を亡くしました。
ボク等の子供は2人。娘もありますが、地球の反対、オーストラリアで家庭を持って住んでいます。
我が子への後継の道は、完全に無くなりました。
以後も、ボク等を励ましてくださる嬉しい・有り難い励ましが続いています。
「そばDa迷人・ひとり言№167」 これが真そばの味なんです!
息子や弟子を採らない後継移譲方法探しを始めた一環として、このホームページの作成に取りかかり、その最終段階に入った12月上旬の事です。
金曜日にお出かけくださったお客様のFacebookで見つけました。
「やっと来れました。
素晴らしかった。
蕎麦も出汁も、接客も、しつらえも。
そして絵。
厠の空気が清浄で、深呼吸できるほどだった。
この心のあり方で厨房に立ったら、こうなるのか。
細部まで心を配るというのはこういうことか、と。
勉強させてもらいました!」
です。
このアップの下にある、友達とのコメントのやりとりで
「背筋がピンと伸びるそばと空間でした。
関東でもなかなかない質の高さです。
こちらにお越しの時はぜひ。」
と。
「今再び、そばの味革命」の真そば流そばを感じてもらえた・・・と喜んでいます。
嬉しい。有り難い励ましに、真そば流で、日本を健康に!、大きく大きく夢を育みながら、そば屋のオヤジでいられる間、顔晴りま~す。