そばの里深萱ふ~どのお客様のFacebookで、ドキッとする感動ものを見つけました。
(承諾が得られ次第、コピーし、紹介します)
※作文中に承諾を頂きました。
嬉しい・有り難い承諾メールです。
先ずこれを紹介させて頂きます。
「長谷川さま ご無沙汰しております。私の拙い投稿に嬉しいコメント(※Facebookの方にコメントさせて頂いていました)をいただきありがとうございます。どうぞお使いください。こども食堂に飽き足らず学習支援にフードバンクなど手を広げ貧乏暇なし状態で、70と言えば古希だけに自分自身コキ使っております 深萱ふ〜どさんの美味しいお蕎麦を食べたくなりました。近いうちに伺います 」
さてさて、そばの里深萱ふ~どは・・・定年制度を設けていません。
オット定年なんて言っていますが、社員はパートさんのみなので社則なんてものはありませんが、「定年は無いからね・・・」とやっている訳です。
否寧ろ、そばDa迷人は、肌の色や男女だけでは無く差別は全てダメ!と考えているので、年齢差別である定年制は早急に改善すべき重大な問題だと考えています。
日本では、やっと採用時の年齢差別が無くなりだしたところですが、欧米等では、定年制度をしてはならないと法文で定めており、これの無い日本は、真の先進国に仲間入りさせて貰え無い理由の一つだと考えています。
否・否・い・やぁ・・・本当は、60歳を過ぎた頃からの方が、毎日身体を動かす何かをしていた方が健康のためになると考えているので、どんな形でアレ、朝起きてやることが必要なのは高齢者の側にある!と考えています。
今の日本は、敗戦後目標として目指したイギリスの「ゆりかごから墓場まで」の成功で、世界有数な福祉国家となり年金制度を誇っています。
ただ・・・残念ながら彼らの多くは「サンデー・毎日」なんて言いながら、生甲斐の無い毎日(社会から期待されていない・・・と自覚する日々)を送らざるを得ません。
60歳になった頃に開催された同窓会で「お前は良いなぁ~毎日やる事があって。おらぁサンデー毎日や」とか「オレは毎日パチンコ」・「オレは未だ良いか?毎日日曜百姓や」・・・と情報交換をしました。
何にもしなくても良くなってしうこの歳(特に70歳からかなぁ?)になると老化を身体で感じ始めます。
世の中に必要とされ無くなってしまった身?だから仕方無いことでしょうか?。
いやいや、老人になってみれば分かりますが、子育ても終わり卒サラもしてしまった身にはピンピンコロリこそ願うところです。
そばDa迷人の経験でも、父の入院先の病院(父は交通事故で前頭葉を損傷し全ての意欲を無くしてしまった)で、近くの部屋に認知症となった方が有り「助けて・誰か助けて・・・」と大声で叫んでおられたのが忘れられません。
どんなになだめられても、何をされても・・・叫び声は治まりませんでした。
※若かりし頃は、貴婦人だったので・・・よりその感を強くしました
自分に置き換えると・・・一世代後の我が身です。
父の姿も哀れでしたが、ああはなりたくない・・・がボクの思いです。
閑話休題。
Facebookにアップされた方は、今年70歳を迎えられる方でした。
同じ様な思いを持っておられました。
書き出しは、頭髪の見てくれでしたから、やっぱりボクより若いかな?。
読んで行くにつれて、重要なのは70歳からの「意欲の低下」と書いておられました。
仕事を奪われて自分の居場所がなくなり、寝て暮らせ・・・と与えられる(?)年金では、益々意欲は無くなりますよね。
いよいよ団塊世代の重しがかかる時代です。
そばDa迷人の思いは、先ず定年制度の廃止ですが、ダメならば、段階的なそれに変わる高齢者を対象とした活躍の場(仕事だけでは無くとも良いんです)の創設です。
子育ての終わった高齢者は、お金では無く(先は長くないと自覚しているので今更名誉でも無い)、誰かのお役に立てるなら・・・と言う、小さな小さな満足感で良いんです。
そんな・・・高齢者が幸齢者になれる時代の開始を願っています。
さてさてそばDa迷人の74歳時代回顧です(ありゃ・今も未だ74ですが)。
定休日は週に2日有るのですが、関連の事を含めるとほぼ毎日同じ様な力仕事をしているのに・・・体力が落ちてきた事をヒシヒシと感じました。
ソバの栽培から石臼の自家製粉・手打ち。
しかも自分の好みの味が出せる原材料・・・なんて事に拘っているので1袋23kgを何度も何度も担がなければなりません。
今年のソバの収穫時(の終了間際)には・・・立っているのも困難が大袈裟では無く、家に帰って潰れ込んでしまいました。
昨年までと同じ事をしただけです。
今では・・・電解質飲料(OS1)が常備飲料となってしまいました。
厳寒の季節にやっていた・玄蕎麦の再調整作業も・・・晴れた休みの日は何日も続きでやっていましたが、出来無くなりました。
太股が痙ってしまって・・・けいれん解消薬(芍薬甘草湯)を2時間空けたくらいで続けて飲まねばならなくなりました。
それに、不整脈・・・。
流石にこれは危険信号と察知して、この歳(74歳後半)で、翌日は晴れでも作業は中止です。
ア・ア・ア・・・そば屋のオヤジ、いつまで続けられるかなぁ・・・?なんて弱気になります。
が・が・が・が・・・・。
厳寒の季節の再調整時にコロッと逝けたら最高の幸せというもんでしょうし、最愛の家族は「好きな事をしてくれた」と送ってくれるでしょう。
かと言って・・・無茶はダメですね。
喜寿目前の後期高齢者(理解できますが造語場所を思うと最悪の言葉ですよね・年齢差別中の差別!)、健康には留意を・・・の側にも鞭打ちながら・・・出来るところまで顔晴りま~す。
そばDa迷人(そばだめいと)
そうそう・・・もう10年以上になりますが、腰が痛くて通院した時に主治医の先生から勧められたNHKテレビの6時25分からの「テレビ体操」(10分間)、毎朝続けています。
5時50分に目覚ましを合わせて、生活のリズムが出来、運動も出来・・・最高です。
別々な場所からですが、一緒にやりましょう。
お薦めですよ~。
「新年早々長文ですみません。
気がつけば、今年3月で70歳!そういえば最近「物忘れが酷い」とか「感性が鈍ってきている」となどの中身の老化現象も悲しくなるところですが、見た目老化は、毎日鏡を見るたびハッキリと目に見えてしまうので自覚せざるを得ずため息が出る始末。
人によって個人差はあると思いますが、「老い」を自覚させられるのは、まずこの見た目の老化からではないでしょうか。これは自覚している以上に、他人からも簡単に見えてしまうので無神経に指摘されることほど辛いものがあります。出来るだけ鏡を避けているのが今日この頃です。
この「見た目老化」のどの部分から気になるのかは、個人差だとは思いますが、特に私の場合は、無駄だと知りつつ育毛剤に発毛剤を頭皮にたっぷりと振りかけますが、流れ落ちる速度の速さが更に追い打ちをかけられる始末です。
でも最近は禿頭は生きてきた証で「顔が広い」すなわち「人脈がある」として捉えようと寛容に構えることにしました。
70代においては、人々はより元気になり、まだまだ老いと闘うことのできる時期になった、と言われています。
元気でいようと努力することは、70代において効果もありますし、大いに意味があることだと思っております。しかし、この年代ならではのリスクもたくさん抱えています。
その最たるものが「意欲の低下」だそうです。脳機能、運動機能の維持には「使い続ける」ことが重要だと言われています。40代、50代の人が何もせずにゴロゴロと寝て暮らすような生活をしたとしても、ただちに脳機能や足腰が衰えることはまずありませんが、70代の人がそれをやるとすぐに衰えてしまうそうです。
70代というのは、意欲的に身体を動かしたり、頭を使ったりしないと、すぐに要介護になってしまうリスクが隣り合わせです。
これは多くの高齢者自身もわかっていることですが、しかし実際に「使い続ける」ことを実践できる人はそう多くありません。
頭では理解していても、70代になってくると意欲の低下が進み、何事にもやる気が湧かず、興味が持てなくなって、人に会うのも億劫おっくうになり、出不精になる傾向も出てくるそうです。
病気やけがをきっかけに老け込んでいくということもありますが、加齢とともに意欲の減退が要因となって一気に年老いていくのです。
こうした「意欲の低下」が顕著になるのが、まさに70代だそうです。つまり、70代から80代に向けて元気に過ごすことができるかどうかは、「70代においていかに意欲の低下を防ぐか」にかかっているということです。
「引退」という二文字をしばらく封印して未練がましいですが、「一般社団法人こどもがセンター」活動をもうしばらく続けることにしましたので、今年も一期一笑でお付き合いの程よろしくお願いいたします。」