今ふたたび、そばの味革命コラム

Column

真そばの味研究所

意志を継いで「真そばの味研究所」を設立。

「顔晴る(頑張る)」、「心友(親友)」、「人源(人間:人間資源)」、「志民(市民)」、「拡命(革命)」、「輝業(起業)」、「光齢者(高齢者)」・・・。
これらは、「日本語を乱す会の会長です」と言ってはばからなかった広島県の総領町(現庄原市)の教育長だった故和田芳治さんの造語です。
和田さんは、教育課長だった頃から、毎月1回、これらの造語を駆使した「私の恋文」と言うミニコミ誌を発行(「過疎を逆手にとる会」を起こし、会報として郵送)されていました。
町長が替わると「特別職は、町長の意をくむ者が適任」と積極辞任し、「人間幸学研究所」を起こして「私の恋文」の発行を続けられました。
残念なことに、2019年3月12日に75歳という若さ(不死身で有ってほしい・・・と願っていたので、まだまだ早すぎ!)で、天国暮らしとなりました。


出版記念会に、広島から駆けつけてくださった頃の和田さん

和田さんとの出会いは、前職の頃(商工会職員)に、地域振興(町おこし)に没頭し、成果が出てきたからでしょう?・・・左遷と言う憂き目にあっていた時でした。県が主催した町おこしの講師でした。
講演は、「あなたは今、この会場ではなく、住む町の上空500mのところにいます。目を閉じてください」と前置きし、「君の住んでるその町は、輝く明日が見えますか?。ここは、地球のド真ん中。輝く明日が見えますか。・・・」と、何と・なんと・・・歌で始まりました。
そして「もう争わなくていい。あなたは既に3億の勝者(3億の精子が争って1つの卵子を目指して誕生した命)だ。ナンバーワンよりオンリーワンを目指そう」とか「町おこしにつきものは、出る杭叩きに足引っ張りだが、出ないで腐るより、出る杭を選ぼう」や「我流極めれば新流、我流も極めなければただの我流」と教えてくださいました。
その時の境遇から、心の中の涙が止まらない衝撃を受けていた事(嗚咽は抑えましたが、顔もグシャグシャだったと思います)、今も忘れられません。
酷い仕打ちを受けている!と思い込んでいた時期で、やる気が起こらず、仕事の命で、嫌々参加した講演会でした。
若気の至りか?結果が答えを出す!と確信し、家庭を顧みず・周りも気にせず・・・頑張り続けていた事が、この衝撃で、潜在する出世願望の争いだったのでは・・・?とさえ思えてきました。
直後に、和田さんに会いたい・・・と、広島まで押し掛けて行きました。
和田さんは、たった一人の視察者だったにもかかわらず、熱く・優しく・丁寧に・・・迎えてくださいました。
その時から毎月1回送られてくる「私の恋文」を楽しみにしました。

毎月1回届いていた「私の恋文」。表紙は1部づつ、和田さんの手で色つき仕上げ

和田さんは「人生は、誰かに借りを作るもの。生きるとは、この借りを返して行くこと」と教えてくださいました。
そばDa迷人は、確実に和田さんに借りを作りました。もう、和田さん自身がこの借りを催促されるはずがありませんし、返すすべもありません。
古希を迎えたそばDa迷人は、今も未だ未だ輝きはありませんが、和田さんを目指そう・最大のライバルは和田芳治!と更に強く位置づけて、我流極めの人生を歩んで行きます。
和田さんに借りた借りを誰かに返して行く!。
和田さんに目覚めさせてもらった貴重なたった一度の人生、周りの目など気にせず、オンリーワンを極める!っと、とにかく楽しい人生を歩み始めるきっかけを、同じように、誰かに与える事ができたら・・・ボクの生きた証の一つになるかな?と思っています。
ですが・・・、やっぱり和田さんの様には歩めません。誰もが認めることでしょう。
でも、何か一つだけ引継いで生きたい。考えました。
「私の恋文(人間幸学研究所)」の発行?、毎月発行は無理!と慰めたら気持ちは楽になりました。
「研究所」のイメージは、未来に夢を育む組織。ならば・・・そばDa迷人の大きな大きな夢・真そば流で「今再び、そばの味革命」を「真そばの味研究所」を起こし「私の恋文」を引く継ごう!と決意しています。
頑張ると疲れる
我張ると角が立つ
だから・・・顔晴りま~す。


そばDa迷人と同じ様に和田さんに惚れた徳野先生(熊本大学名誉教授)の寄稿文

大心友・和田芳治さんは、ボク・そばDa迷人の心の中で永遠です。
2019年12月、「真そばの味研究所」の活動開始です。

夢とそばを楽しむ会

Meeting to enjoy dreams & soba

そばで日本を健康に!&日本を真の先進国に!と楽しい夢を見る会です。
会長さんや会計さん…お偉いさんは存在しません。いるのはそばの里深萱ふ~どのオヤジ・そばDa迷人が務める“用務員”さんだけ。
とにかく楽しい夢を描きましょう。