今年は9月の後半に突入しても・・・残暑とは言えない暑さ・40℃に迫る猛暑日が収まりそうに無く連日のように最も遅い酷暑日の記録を伸ばし続けていました。
今年の秋分の日(22日)は日曜日でしたが、中国大陸に上陸すると・ほぼ180℃方向転換した台風14号が熱帯低気圧となり秋雨前線に吸収されて・・・能登半島では、例年の9月分の1.5か月分の雨が短時間で降り、大被害をもたらしていました。
この日のこちらは・・・営業開始頃迄は、風の強い雨でしたが、エアコンのかかった厨房から外に出ると、初めて涼しさを感じる日となりました。
さてさて、そんな日の出来事です。
ここ最近そば打ちが絶不調で、満足できない日が続いていましたが・・・有り難い事に、この日はちょうど売切れ。
今回の不調、悩んで・悩んで・・・何日経っても満足な出口が見えず、チャーボーからは「休もうか?」と言われていました。
「いやぁそばは全部がダメなんじゃ無い。思う様に切れないそばが出ちゃうんで、それを取り除くのに時間がかかるし、完成したそばの量がかなり少なくなっちゃうんだ・・・」と説明しました。
しかし、良いものは使えるとは言え、やっぱり100点満点の合格品ではありません。
この日の売り切れは、「こんなそばで売切れても・・・」と不安の方が先に立ってしまうのですが、このそばを食べて頂いたお客様に、元気を頂きました。
又、何気なく見ていたテレビで、若い頃の梅沢富美男さんが石ノ森章太郎さんに「壁にぶち当たったので止めようかと思う」と相談した時に、石ノ森さんは「生意気なことを言うな。売れねぇ役者に壁があるか。壁っていうのは売れた人が作る。俺は何を書いても『仮面ライダー』が壁。何やったって同じ芝居してるなって言われたら壁。お前は必ず売れるから頑張れ」と説かれた・・・と耳に入ってきました。
趣味のそば打ちを始めたばかりの時に、知人のNHKカメラマンさんから協力してくれないかとの依頼で、愛知県のある町のそば祭りでそば打ちを教えました。
これが・・・素晴らしい企画でした。
先ずは、休耕田でソバを栽培する。
時期が来たら(収穫後)、大人(お父さんお母さん)が子供達のためにそばを打つ。
その子供達は、会場への道すがら、沿道のゴミを拾って会場に集まり、お父さんお母さんが打ったそばを食べる・・・と言うそば祭りでした。
初めてのソバ栽培で収穫は思う様にゆかなかったようなので粉を仕入れて、凄い量のそば打ちです。
前夜に、公民館で・・・お父さん・お母さん、和気藹々と夜遅くまでそば打ちを顔晴られました。
この日は、ボクは、教えただけでしたが、翌日(当日)は、会場でそば打ちの披露です。
会場で、「そば打ち名人・長谷川政夫氏」の立て看板を見つけたので隠しました。
が・・・NHKのカメラマンさんからの依頼だっただけに・・・「美濃加茂市のそば打ち名人長谷川政夫さんを迎えて始まったこの祭りは・・・」とその夜のニュースで放映され、冷や汗を流した経験がありました。
その直後に、鳥取の友人から「長谷川さんは遊迷人」とハガキを貰って・・・これだ!と、以降「そば打ち迷人」を名乗る事にしました。
50歳で卒サラして、先ずソバ栽培をやろう・・・と農業委員会の許可を得て畑を借りた時にそば打ちばかりじゃ無く畑も加わるから、「畑」を「Da」・(「打)」に掛けて)・「そばDa迷人に改め、呼び名も「そばだめいと」と名乗る事としました。
その後、「壁」なんて大袈裟なものではありませんが、そば打ちでの迷人ぶりは・・・趣味の時代だけでは無くプロ(そば屋のオヤジ)になっても・・・何度も何度も経験しました・否・し続けています。
そば屋の開店より2年前に始めたソバ栽培で、その後この地域で6名しかいない認定農業者となり、これを自覚して望んだソバ畑(栽培)でも、最重点に置いた美味しい素材の収穫は期待以上の結果を得ていますが、なんせ収量が少なく・・・25回の経験を経ましたが、こちらも未だ未だ確実に迷い人の範疇です。
絶不調(壁)は、極めているからこその現象ならば、真そば流を極めてなかったら、感じる事が無かったかも知れません。
超えなきゃ!と分かっていますが、今回の現象は、これまでは何でも無かった事。
意識して改善策を試すのですが、治らない!どころか・・・直前に戻る事まで出来無くなっており落込みの期間も長すぎです。
厳しい・悲しい・辛い・情けない・・・と落ち込んでいます。
色々試して、原因が見つけ出せない!・光輝幸高齢者・加齢が原因か!?とさえ思い始めていましたが、嬉しい・有り難い出来事をエネルギーに、後期高齢者になったからと言う加齢が原因なら引退覚悟で出口探し・顔晴りま~す。
まず最初に、自分が情けなくなるほどの壁、迷人なるが故?の絶不調がどんな事?ですよね。
かって日本中のそばの味を革命的に美味しく変えた「江戸そば流」を基本に、「日本を健康に、今再び・そばの味革命!」を夢に見て極めている「真そば流」も佳境期と思い始めていました。
江戸流の教えの代表的なものの中に「1鉢、2伸し、3包丁」と言うのが有り、この教えは一番難しく重要なのは「木鉢」の作業である・・・と言うものです。
反対に、包丁は3日で体得する!に例えられた最も簡単な技であると教えています。
そばDa迷人は、「木鉢」の作業は、そばを美味しくする為には重要じゃ無い・繋がるそばにするための教えだ!と悟りました。
繋がるそばと美味しいそば、手打ちそばは長く繫げる事より美味しいを目指さなきゃ!の思いを強くしたのです。
そばを美味しくする工程は、「1包丁、2伸し、3鉢」と江戸そばの教えの真逆・否定したかのように決め込んでいます。
今回の絶不調は、江戸そば流では3日でマスターできる・一番簡単だという工程の包丁(切り)なんです。
包丁で、江戸流は、一番美味しいそばを作るために1寸(3.03cm)幅の麺帯を23本に切る「切りべら23(約1.3mm幅)」と教えています。
江戸そば流は、「喉ごし」重視。
そばDa迷人の進める真そば流は、そばも麺である以上「喉ごし」よりも「腰」と考え、つい最近まで「切りべら30(約1mm幅)」とやっていました。
ある日、もっともっと「しなやかでシャキとした腰を出したい!」と思う様になり、光輝幸高齢者となった頃(今年・2024年5月)から「切りべら38(約0.8mm幅)」を目指しました。
手打ちと機械製麺で、手打ちでは機械にどうしても勝る事が出来無いところは・・・「伸し」と「切り」の均一・正確さです。
機械製麺なら、セットさえすれば、機械が同じ厚さに伸し・同じ太さに切り揃えてくれます。
手打ちの包丁を使った切り工程は、熟練しても機械製麺の均一な正確さに勝る事は不可能です。
余談ですが、この行程では手打ちそばは機械製麺には勝てませんが、手打ちだからこそ機械製麺に勝る箇所は存在します。ISBNコードを取っていませんので書店購入は出来ませんが、そばの里深萱ふ~どの店内販売をしている「真そば流味革命-坂祝発」にその理由を記しています。興味のある方は是非、お買い求め下さい。
「真そば流味革命-坂祝発」
お買い求めは。そばの里深萱ふ~どの客室で!。
手打ちそばは、間違いなく機械製麺のそばより美味しいものになります。
この本の中で、手打ちが機械製麺に勝る(味で)理由も記しています。
閑話休題
機械切りに無い・ほんの一寸した手ぶれで生じる切り幅の斑は、求める幅が小さくなればなる程(=切りべらが大きい数字である程)味に与える影響(茹で時間で)が大きくなる(茹で斑となる)のです。
喉ごし重視の江戸そば流は、麺は細い方が良いが、熟練の限界と茹で斑を考慮して「切りべら23」を推奨したのかなぁ・・・と納得しています。
これまで「切りべら30」で極めてきた真そば流を更に細く「切りべら38」と改めましたが、当初は、何も意識する事は無く、これまで通り思うがまま・自在に切れていたのに・・・空振りや倍以上に太い物までが出て・・・突然そばが切れなくなってしまったのです。
あれ・・・?、太いも細いも・・・思いのままっと自在の熟練を疑わなかったはずなのに・・・なにこれ?!っと壁を感じたのです。
包丁の精?と包丁を変え、まな板の精?とまな板を変え、駒板の精?と駒板を変え・・・色々試しましたが、戻りません。
どころか、対処方法を思いつかなくなり、大壁にぶち当たった気分、今までに経験した事の無い大スランプとなりました。
切った麺(完成品)の確認作業が必要となり、切りの作業時間が長くなります。
ああやって・こうやって・・・先ずは元に戻そうとやるのですが、戻りません。
目に見えて不揃いです。
製麺機の馬鹿げた宣伝文句・「手打ちそばと同様に不揃いの切りも可能です」が気になって仕方有りません。
手打ちそばは不揃いと機械に馬鹿にされた様なそばしか出来無くなっているのです。
手打ちの利・機械に出来ない手打ちの優位は確実に有りますが、機械ならではの均一伸しと切りこそが目指す熟練で、これが機械に近ずけば近ずく程、そばは確実に美味しくなります。
これまでは・・・均一伸しが一番難しいと思っていましたが・・・。
細い麺にすればするほど・・・切りが難しい!。
切りを一層難しくする16枚畳みで切っていましたが、今は12枚畳みに戻しています。
そんな訳で、打ち上がった麺の中で、目に見えて不揃いの物を一筋ずつ取り出さなければなりません。
手打ちそばが・・・機械製麺の手打ち風!(茹で斑が起きる・明らかに分かる不揃い)なんて言われてなるものか!・機械に負けない正確性が熟練の証だ!の気心を持ち続けているので、経験した事の無い絶不調・大スランプ・壁と悩んでいます。
さぁ~て、秋分の日の営業中の嬉しい・有り難い出来事2件の紹介です。
最初の嬉しいお客様は、新型コロナ蔓延騒動で終わってしまいましたが、日本中のそば屋が大急がしとなる大晦日の日(年越しそば)は商売では無くこの地域の役に立てる事がしたい・・と年越しそばの会をさせて貰っていた近くのお寺のお孫さん達(4人連れ)でした。
20年続いたこの会は、そば屋の建設に入った年に、ご院住さんから「鐘撞堂の修復が完成するので、除夜の鐘を撞きに来た人に年越しそばを振る舞いたいから協力してくれないか」とい言う・有り難いお話しで始まったものでした。
ド・ド・ド・・・と108人が一時に集中そるそば会です。
賄い方に、お寺のご家族が協力して下さっていたのです。
この日、開店と同時にお出かけ頂いたのは、物心ついた子供の時から・・・ず~っと(毎年)この会を手伝ってくれた可愛い女の子でした。
さぁ~て、その時に手伝ってくれたお孫さんが、お父さんお母さんに加えて彼氏(?)と。
20年経って・・・あの時のお孫さんは、可愛い~に綺麗が加わった女性です。
未だ幼稚園に行ってない頃から・・・「メッチャ美味しいそば、いっぱい食べるよ」とハリキッテ手伝ってくれていました。
そして、時に「年越しそばが待てなくて・・・」と食べに来てくれるので「これサービスね」と大盛りにしていたのですが、この日は・・・。
「3番目のお客様はお寺さんです」と聞いた女将のチャーボーが茹でたそばを自分で持って行き「ごめんね。大将・今、そば打ちのスランプで、今日はそばの量が間に合いそうも無いので普通の量ね」と。
2つ目のそばを持って行き、厨房に戻ってくると「この味でスランプ!?。やっぱり一番美味しい!。スランプじゃ無い時のそば、どんな味になったんかなぁ!?と言って貰ったよ」と伝えてくれました。
弁解ですが、スランプでも・・・提供するそばは、一応の目視検査をしています。
スランプじゃ無い時は、その必要が無いので全量提供出来るのですが、気に入らん状態の部分は・・・取り除き、ソバ畑の有機肥料なんです。
つまり・つまり、スランプだと提供出来る完成品が少なくなるから・・・いつもの大盛りサービスが出来無かったのです。
嬉しい言葉に涙を堪えて次のそばを茹でていました。
そして、この日は・・・嬉しい出来事が続きました。
嬉しい・有り難い出来事の2つ目です。
この日は、住む町のお祭り(?)・花火大会が予定されていて、京都の大学に通うボク等の孫が友達と帰郷し「じぃじのそばを食べさせたいからご馳走してね」との予約を受けていたのです
土・日の予約は受けていないのですが、無条件に可愛い孫の願いなのでそばを確保(席はオープン時に満席だったので待たせました)して置きました。
チャーボーがオーダーを取りに行きました。
「いっぱい食べてね。このあれこれ膳が多いけど、こちらの満腹膳で選んで良いよ。ただ、粗挽きそばは無くなってしまったからごめんね」と、です。
暫くして聞きに行くと、孫がいつものあれこれ膳だったためでしょうか?「満腹膳は食べてみてからにします。まずはこれ」とあれこれ膳でした。
最初の盛りそばを持って行き、暫くして、チャーボーが二つ目のそばを持って行くと「食べた事の無い味!。めちゃめちゅ美味しいので追加して良いですか」と。
チャーボーがニヤニヤで帰ってきました。
そして「大スランプ中さん、そば、めちゃめちゃ美味しいって。3つ目も欲しいいんだって。めかぶそばを追加してあげて」と。
喜んで・喜んで・・・どころか、3つ目を茹でる時は、涙を堪えた(勿論声も出さず表情も変えず)男、否・おじん泣き(大スランプなのに・・・と嬉しい光輝幸高齢者)でした。
そして・・・追述・この日の事ではありませんが、この原稿を書いている日に、初めて来たと言う若い方から・・・「こんな日ばっかりじゃ無いですよ。忘れられちゃったかなぁ~と思うくらい暇な時があるので、こんな場所だし潰れちゃうかなと不安になりますよ」と言ったチャーボーに「大丈夫、このクオリティは忘れられません」と言って下さったそうです。
「このクオリティー」・最高の褒め言葉と心にしみました。
包丁が思う様に出来無いと言う大きな壁に悩んでいるのに、なんと言う有り難い事。
何とかして・・・脱スランプ!を誓うのですが・・・。
脱スランプ後は、そば好きを一人でも多く作りたい!・真そば流で「日本を健康に、今再び・そばの味革命!」の夢を育てたい。
・・・。
後期高齢者を光輝幸高齢者に置き換えて、この壁を乗り越え・・・もう暫く顔晴りま~す。
そばDa迷人(そばだめいと)
追伸
チャーボーに「休もうか?」と言われてから久しくなりました。
あの時「否、全部が悪いわけじゃ無いから、出せないそばはより分ける。その分時間がかかるしそばの量も減るけど、やらんと出口が見つからんから顔晴るわ」と言って休みませんでした。
チャーボーは、そばDa迷人の不調を知ってから、自分の準備時間を割いて・・・「冷たいお茶飲む」とそば打ち部屋に来たり、足音を忍ばせてそば打ちを覗く事しばしばです。
それに気づき「あれ・いつからいたの?」と言うと「今来たばかりよ。マーチン、包丁が上がってないし、目つぶってても切れると言ってたのに、身体を捻って覗き込んでいるよ。初心者みたいだから基本に戻ってみたら」と。
流石にこの時は・・・ガチガチで、まるで初心者の包丁(リズム感無し・完全な壁)になりました。
肩の痛みで腕が意識無しに落ちる事があるし・・・これが影響してる?・やっぱり加齢!との思いが強くなりました。
加齢と決め込んでしまうまでにはやる事がある!・やってみなきゃ・・・。
いつも、切りべら数確認のための包丁回数を数えていましたが、しばらくの間、これを止めて「上げて」・「上げて」とのかけ声・自分への言い聞かせです。
春分の日を契機に猛暑日連続の気候も変り始めた事があってか?少しずつ変化が起きています。
壁は・・・「自在切りが出来る」の有頂天を打ちのめすものなんだ・・・と思えてきました。
大不調に陥った原因を見つけてないので、未だ未だ戻りきっていませんが、春分の日から1週間経過した今日(9月28日。昭和58年のこの日は、木曽川の未曾有の氾濫で自宅は床上3m浸水でした。閑話休題)、チャーボーに「未だ未だ不安定だけど、基本に戻してやっていたら、今日は何とかなったよ~」と嬉しい報告が出来ました。
だが、長かっただけに、たった1日では自信回復には至りません。
落ち込み中で、明日がドキドキは変わらずですが、お出かけいただいたお客様に、更に変化した真そばを味わって貰える様、そば包丁は基本に!と心して顔晴りま~す。