今ふたたび、そばの味革命コラム

Column

顔晴りま〜す・幸せづくり

令和6年・冬休み・蕎麦喰い旅行記(その3)

今日は、そば喰いからちょいと離れて40歳になるまで大好きだったうどん、中でも一番好きな・・・さぬきうどんです。
否々、今回のうどん食いは、実はついでに予定した事なんです。
余談ですが、前回の香川県入りは、唯々うどんが目的で、小麦粉の勉強(さぬきの夢2000のうどん喰いを含めて)がしたくて、木下製粉株式会社の社長に面談を申込んで行っていました。
出来れば時間を作って、その時のお礼に寄りたいと思いましたが、予定できず通過です。
話を戻して、山陰・山陽道で走リ抜けて九州に行かずに、淡路島経由で四国入りを計画にした理由は・・・、充実人生の達人に会って、そのエネルギーを貰いたかったからです。
その人は、香川県高松市に住むチャーボーの実家の縁者(兄の長男の奧さんのご両親)・香西さんです。
我々とほぼ同世代なので、働き方改革とまでは言われていませんでしたが、労働環境の大きな変化である完全週休2日制への移行を体験した方です。
瀬戸内の激しい渦に揉まれる魚は身が引き締まって美味しくなる地域なので?(かな)、休日は趣味の魚釣りでした。
これが、舟を所有して漁師さんと同じ設備もあっての本格的趣味です。
定年退職を迎えられた時に、余生を漁師では無く、年金で生活が出来るからっと、誰かの役にたって生きる充実を感じていたい!と免許も取って、舟をもう1漕購入して海上タクシーの事業を始められました。


舟附場の香西さん所有舟
手前が海上タクシー、奥が釣船

充実人生ですから・・・趣味の魚釣りはそのままです。
つまり、タクシー用の舟と魚釣り用の舟、計2漕の舟を持った生活が定年後に始まった訳です。
自分の手でホームページを作り、これを見て依頼のあった方を瀬戸内観光に案内するのが主な仕事です。
令和4年の知床遊覧船事故で随分厳しくなりましたよ・・・と言われ、厳しい法制化(設備や運行計画)は未だ実施されていないが、安心出来る改善対策を自分で決めた・・・と。
その為・・・ボク等がそば喰の旅を決め、出発した時の天気予報は晴れでしたが、昨夜になって、風が14m/秒と強まる予報に変わりました。
ボク等の到着時まで天候の様子を気にかけて下さいましたが、10m/秒以下にはならず「残念ですが、小さな舟では出航出来ません。まぁ先ずコーピーでも」と挽きたてコーヒーを頂く事となり、変更理由の説明を受けました。
そして、コーヒーを飲みながら、最初に早めの昼食でさぬきうどんを食べて、舟で下から眺めるはずだった瀬戸大橋を八島の頂上から眺めて、停泊中のマリーナで舟を見て貰って、栗林公園に案内します・・・と説明を受けました。
否々そんな・・・予定して頂いただけで無理を言っているのに(恐縮)と話しましたが、「今日は休みにしていますから」と。

先ずは念願のさぬきうどんです。
時間が有ったら、ここも入ると良いんですがね・・・と四国村・野外博物館に行き、併設のうどん屋さんに案内して貰いました。


四国村内のうどん屋さんにて
「水車は、少し前まで動いていました」と。

今日はうどんを食べるゾ!と朝食は菓子パン1個半(2人で3個)に控えてきたのに、2人前として運ばれた桶に入ったうどんで・・・あれ~・お腹一杯になりました。
前来た時は・・・3軒案内して貰ってペロリと食べたのに、今回はもう入りそうもありません。
それにしても・・・うどん屋の看板を目にしても、今回もそば屋の看板が見当たりません。
月日は流れても・・・うどん王国の香川県では、うどんが安くて・美味しすぎて・・・そば屋が出来無い県・今回も納得です。

そのまま車で、源平の古戦場・壇ノを眺めて展望台へ。
行くはずだった瀬戸大橋を眺めましたが・・・これも霞んで見えませんでした。


風も強いが・ガスんでて・・・。
瀬戸大橋も見えず!。

そして、マリーナへ。
「普段の乗船は、桟橋の有るところでお客様を乗せますが、今日は舟を出さないので、ちょっと危険ですが、ここで乗ってみますか」と。
チャーボーは「乗ってみたい。海無し県なんで、殆ど舟に乗った事が無いし、こんな舟は初めてなんで・・・」と。
停泊ロープを引っ張って、先ず漁舟にのり、並んでいる海上タクシー舟に乗り移りました。
停泊しているだけですが、何かに捕まっていなければフラフラする揺れでした。


防波堤をよじ登って・・・。

先ずは釣り船に乗って。

「今日は、無理して出れば、最低でこの揺れですね」と。
舟酔いするかも知れないと心配していたチャーボーに「初めての人で、これに酔わ無かったら大丈夫かも知れませんね」と。
降りたチャーボーは「乗れた乗れた。これで帰っても、舟乗って来たってよって言える~」と大喜びでした。
異例尽くしの体験となっています。

次は、栗林公園。
高校時代の修学旅行以来なので・・・57年ぶりでした。
残念ながら、当時の記憶は全くありません。
只、記憶に残っているのは、今も年に1回・家族旅行をする仲になっている級友と親しくなったのがここでした。


今回は、愛するチャーボーと。
香西さんがパチリ・・・。

栗林と言いながら素晴らしい松林・・・凄い強烈な印象で、もう忘れられません。
オーストラリアに住む娘に「今度みんなで日本に帰った時は、ここが良いよ」とLine(写真添付)です。
娘から「いいねぇ。今度はしまなみ海道を自転車で走りたいし・・・」と直ぐに帰ってきました。

昭和20年の終戦で新しい道を歩み始めた日本は、イギリスの「ゆりかごから墓場まで」を目指しました。
敗戦直後までの日本では、年金制度も無く、祖父達は・・・わずかな田畑を死ぬまで耕し続けるか(未だ未だ田起こしは牛でトラクターは無かった)、子の一人を跡取りとして家を継がせなければ生きて行く事さえ出来無い状況でした。
その後、サラリーマン天国とはよく言ったものです・・・終身雇用と言うものの、多くのサラリーマンは退職の恩恵を得て・悠々自適な年金生活で仕事をしないで生きて行ける時代になりました。
でもこれって・・・本当に豊かな国でしょうか?。
第一、定年退職を法律で認める国・日本は、年齢差別の国って事じゃ無いでしょうか?。
今じゃ、65歳迄再雇用制度を導入する会社が多くなり、人生100年時代に向けて再雇用期間を70歳に・・・なんて声が聞こえますが、働く場を年齢で奪ってよいものでしょうか。
真の先進国なら、肌の色や男女だけでは無く全ての差別を無くす事に取組まなくてはならないと考えますが、如何でしょう。
身体の自由が効かなくなったら、悠々自適な年金生活に甘んじるが、健康な間は仕事が出来る!。
こうした道が、希望する全ての人に叶う様になってこそ先進国の仲間入り!と思うのですが如何でしょう?。
そばDa迷人は、50歳で「卒サラ」と定めて始めたそば屋のオヤジですが、この歳(74歳)になって、毎日やる事のある生活は本当にありがたい・・・と感じています。
せめて散歩程度の運動はしたとしても、一日中、もし家の中に閉じこもっていたら・・・足腰の筋力の低下で、老化の速度が猛烈に速くなる・・・と容易に想像が出来ます。
働くと言う事は、誰かの期待に応えた動きをしていると言う事で、幾ばくかの収入に繋がって行きます。
年金で支えて貰って・且つ仕事で得た報酬があれば、アレを買おうかな?、これをやってみようかな?と思う余裕が生まれ、意欲が増してきます。
この意欲こそ、更に身体を動かす(頭も使う)事となり、筋力や脳の衰退を止めたり遅らせる事が出来る!と考えます。
高齢者に働ける場を・・・が叶えば、経済が回り始めるばかりでは無く、平均健康寿命の延伸よりも重要な平均健康寿命が確実に伸びると考えています。
正に、その生活を実戦されている香西さんに会い、この生き方が日本中に広まったら・・・の思いを強くするとともに、そば好きを一人でも多く作って行く事を目標に置くそば屋のオヤジ・そばDa迷人も顔晴るゾ!の思いを強くしました。
強い風で、その舟には乗れませんでしたが、一杯話す機会を頂き、大満足でした。

さぁ。この日の宿泊場所・道後温泉に一直線です。
明日は、いよいよ今回の旅行の最西の地・九州に、フェリーで渡ります。

そばDa迷人(そばだめいと)

夢とそばを楽しむ会

Meeting to enjoy dreams & soba

そばで日本を健康に!&日本を真の先進国に!と楽しい夢を見る会です。
会長さんや会計さん…お偉いさんは存在しません。いるのはそばの里深萱ふ~どのオヤジ・そばDa迷人が務める“用務員”さんだけ。
とにかく楽しい夢を描きましょう。