今ふたたび、そばの味革命コラム

Column

顔晴りま〜す・幸せづくり

平均健康寿命・目前に・・・老人性難聴では無く、突発性難聴を罹患

実は・実は・・・「突発性難聴」を患いまして、只今治療中です。

子供の頃から、右の耳は、左に比べるとやや聞こえにくかったので、電話は左で受けていました。
(オット、我が家に電話が引けたのは小学校5年生の時(11歳)だから、これは嘘?!を若干含みますね。余談ですが、電話の他、テレビ等生活便利家電や家は、この時に新調・新築で、戦後十数年にして我が家の文化生活が始まりました。当時(ボクが小学校1年生の頃)は、冷蔵庫も有りませんでした・氷を買って入れる箱が正統な冷蔵庫でした。こんな時代だから、海無し県の岐阜では、海の魚の刺身なんて、ま~ず口に出来ませんでした。自宅建築の頃から、生活が大きく変わり始めました)

閑話休題(今回の突発性難聴に)
半世紀以上の月日が流れ、72歳の誕生日を過ぎた5月25日(火)に、耳に水が入ったようにボーンとして(両耳)話しが聞きずらくなりました。
原因は?、いつもはゴールデンウィーク頃に、中国大陸から襲来する黄砂で、この時期になっても黄砂による花粉症の再来です。
今年は、例年に加え、この1週間前もこの黄砂襲来の警報が出ていました。
ウイルスを含んだ黄砂が原因!と勝手に決め込んでいます。
先ず両耳が痒くなっていました。
ボーンとする前日に、耳の中が痛くなり、今まで経験したことのない症状が現れた(この時は未だ、耳が聞こえないと言う自覚症状はありません)という訳です。

そば屋を開店する前(ソバ栽培を始めていた時)に、これこそ子供の頃からの病?「副鼻腔炎(子供の頃は「蓄膿症」と言われていました)」を治して貰った美濃加茂市の岩永耳鼻咽喉科さんに・・・26日(水)の営業後・片付け前に行きました。
診察・検査・診察で岩永院長さんは「突発性難聴です。現状は、左は聞こえているようですが、右耳が身体障害者4級レベルを下回っています(要約)」と。
そして、「取りあえず薬を出します。それで快復しなかったら、毎日点滴です。厳しく言うと入院治療が必要ですが、仕事柄無理でしょ?、毎日通えますか」と。

毎日・・・から、週2回まで減りました(快復傾向です)。

ショックだったのは「突発性難聴の快復率は、約3割です(発症後48時間以内に治療開始して)」と。
歳も取って来た(日本の男の健康平均寿命72.2歳に王手。72.2歳は今年の8月1日に迎えます)し、聞こえにくいのは仕方が無いにしても・・・このボーンとしていて、左耳から聞こえた音が右耳でこだまするような感じは不快でなりません。
聞こえないだけだはなく、これが突発性難聴の症状で、快復しないとこの症状も無くならない!と。
これは大変です。
臨時休業・入院して治すか!?。
でも、折角ボクに合わせた通院治療を予定して頂けるのです。
毎日・・・取りあえずの片付け(釜の湯落し)だけして、駆けつけることにしました。

ありゃぁ・・・大変!、薬を飲んで、点滴を受けて2日目、右耳は全く聞こえ無くなりました。
5日目の31日(月)に再検査です。
左耳は少し良くなっていましたが、この耳(左)を人差し指で塞ぐと・・・右は全く聞こえていません。
検査でも、今では人間の識別できない音域領域(ここが悪くなるとボーンとする部分)は全く駄目で、人間が音・声として識別できる音域部分も補聴器との結果、つまり、聞こえてい無いとの診断でした。
「可能性に期待しましょう。今週も、休まず点滴に通って下さい」と。

あれ?・あれ?・不思議です。
就寝前になると、ボーン(否こだまがかな?)が、少しだけですが治まり始めているではありませんか。
確かに・・・微かにですが聞こえています。
アカン・アカン・勝手な判断の糠喜びはイカン!と戒めました。
嬉しいことに、ボーンとした異音の不快感が少しずつ少なくなって、声・音も、テレビのMCの言葉は聞き取れませんが、音として聞こえています。
その後も、少しずつ・少しずつ聞き取れるようにもなってきました。

6月11日(金)に再検査です。
「よかったですね。危機は脱しました。が、突発性難聴の症状が消えるところまでは行ってないから、もう少し治療を続けましょう。点滴は週に3~4回位に減らして・・・」と。

戻って・・・愛する妻・に、先ず礼です。
勿論・勿論デザートをお土産に買って「チャーボーありがとう。チャーボーが優しくしてくれるから、健康平均寿命になったけど、何とかこの病気も治したいと思った。今日、先生からも、危機は脱した・後は、少しでも以前に近づく治療を続けましょう・・・と言われたよ。この歳になると、一人だったらもうどうでも良いと思っちゃうだろうけど、チャーボーがいてくれるから、オレはチャーボーより1日だけ長生きするゾという気持ちを強くしたからね」と、72歳の愛を・・・礼に変えて告白リ(?)ました。


随分前のことだなぁ・・・
そば屋で使っているテーブルを手作りしている我が愛妻・チャーボーです。

6月15日(火)・定休日の点滴と治療では、「今週は、金曜日の点滴まで、このまま行きましょうね。ここで、前より良くなっていたら終了ですが、しっかりと治療しておきましょう」と。

そして・・・次回の検査予定だった18日(金)です。
営業の蕎麦窯の湯だけ落として点滴に駆けつけ、検査・診察です。
点滴の時に、快復を知っている看護師さんが、検査の前に「如何ですか?」と。
「もう、治っちゃった気分です。今までも右は少し聞きづらかったんですけど、全く聞こえなくなって、治して貰って、聞こえるようになって、ここまで聞こえるようになると、変ですね、右の方がより聞こえているような気分でいます」と。
「じゃぁ、これから行う検査、楽しみですね」と。
終わって診察です。
「良いですね。左と一緒くらい聞こえています。これで確定すれば完治ですが、もう少し続けましょう」と岩永先生です。
点滴は、次の検査の金曜日までに2回、飲み薬のステロイド剤は夜だけ(次の検査まで)となりました。

未だ・・・片付けと明日・土曜日の準備が残っているので祝杯!と言う訳には行かず、薬局の隣のたこ焼き屋さん(「たこまる」さん。そば屋のお客様です。いつも行列です。コロナ対応で並びました)で・・・チャーボーの好物をお土産に買って帰ることにしました。

急いで帰って・・・熱々を二人で。
たこまる」さん。木曜日も定休日追加、(水)・(木)定休となっています。

否・否・・・奇跡に近いことが起きました。
今では、パソコンやスマホで、かなり医学的なことまで簡単に調べることが出来ます。
しかも、ボクのレベルにあった書き込みも多数有り十分な知識が得られます。
これを見ていると、恐怖・心配・不安も増えて行きましたが、最高の治療をして頂く事が出来た(少なくともここ迄は)・・・いつしか自分の人生は75歳?と決めて生きてきたボクには、こんな時は、やっぱり・・・「もうここまで生きてきたから」と言う思いが強くなります。
せめてこの違和感だけでも・・・と諦めかけた事のあったボク、「同じように聞こえていますよ」の奇跡は、感謝・感激の結果近しです。

50歳で卒サラしたそばDa迷人のそば屋のオヤジとしても目標は、自分好みの味を追求する真そば流手打ちそばで「そば好きを一人でも多く作る事!」、開店当初から変えていません。
欲張りですが・・・人生最大の目標がもう一つ、これも変えずに「愛する妻を幸せにする事」・否々、日本男児の平均健康寿命72.2歳・カウントダウンの時期(8月1日がその日)にしてこの人生最大の目標は、そばDa迷人の残された人生の中で、大きなウエイトを占めて来ました。
真の先進国は、生を受けた人間が、等しく幸せな生活を送れること。


https://www.kaigonohonne.com/news/article/1463 より引用 )

日本がその真の先進国になるには、未だ未だ見受けられる男女差別の解消は当然で、全ての差別が無くなることだと信じて疑いません。
そば屋のオヤジは、自分で納得出来る美味しいそばを提供することは、あったり前の事と理解して頂けるでしょうが、幾つになってもこれを追い続けそば好きを一人でも多く作って生きます。
そして・・・この世界で、たった一人の愛する妻を幸せにする・・・顔晴りま~す。

30年以上前のことになりますが、広島の今は亡き和田芳治さんが提唱した「逆手塾(過疎を逆手に取る会)」に、ボクは愛称・「感動ビールス(ウイルス)」を名乗って参加しました。

「ない」は、「何でもやれる」可能性!
勇気100杯です。

今、世は(全世界が)、新型コロナウイルスが猛威を振るうコロナ禍ですが、いつか・・・愛する妻を幸せにする!ビールスが、先ず日本中に伝播して、世界中にまん延し、地球毎幸せになって行くのでは・・・とほくそ笑む夢を見ています。

今回の思いがけない病・突発性難聴は、快復へと言う有り難い診療をしていただき、心も元気にして頂きました。
もうこの先20年は・・・、この歳からは望めませんが、愛する妻・チャーボーと二人、岐阜県坂祝町深萱の畑の真ん中の「そばの里深萱ふ~ど」を舞台に、出来るところまで楽しませて頂きます。
顔晴りま~す。

そばDa迷人

夢とそばを楽しむ会

Meeting to enjoy dreams & soba

そばで日本を健康に!&日本を真の先進国に!と楽しい夢を見る会です。
会長さんや会計さん…お偉いさんは存在しません。いるのはそばの里深萱ふ~どのオヤジ・そばDa迷人が務める“用務員”さんだけ。
とにかく楽しい夢を描きましょう。