毎年協力してきた・・・坂祝町勝山の覚専寺の除夜の鐘を撞きに来た方々に振る舞われていた年越しそばの会は・・・収まるどころか益々猛威となってきた新型コロナウイルス第3波のため、中止となりました。
こんな時だからこそ、形を変えてでもやりたい・・・と迷いに・迷っておられたご住職が、「この勢いでは、もうどうにもならん。残念だけど、中止します」と。
思い起こせば・・・そばの里深萱ふ~どをオープンする1年前の事なので、もう20年、続けてきました。
そのキッカケは、お金儲けではなく一人でも多くのそば好きを作りたい。
坂祝町でそば屋をやるからには・・・と、大晦日の12月31日は、営業しないで、何処かで年越しそばの振る舞いをやれ無いか?と、役場に勤務する同級生に話を持ちかけていました。
待てど暮らせど返事がありません。
請求して得た彼からの応えは「1企業の応援は出来ない・推薦できない・・・」と。
「誰が応援して欲しいとお願いした。そば屋のかき入れ時は商売をしたくないので、何処かの施設で振る舞い年越しそばをやりたいと思ってるだけだ!」と憤慨し、この怒った気持ちをこのご住職に愚痴ったのです。
ご住職は「寺の鐘撞き堂の修復記念に、除夜の鐘を撞きに来た人に、そばを振る舞ってやってくれないか」と。
21年目、月日の経つのは本当に早いものです。
庫裏の厨房に、あのそば専用釜を持ち込んでやるのですが、換気が良くないため、窓とドアは開放してやっています。
勿論、そばを食べる場所は境内で、たき火を囲んで・・・。
3蜜対策は、十分出来ていますが、感染者数が連日のように記録更新し、岐阜県内の感染者数のその例外ではありません。
こんな状況をも予測し、「こちらは、何時中止が出ても対応できるよう準備します」と言ってきました。
ご住職も、「やれるように準備するからお願いね」と。
本当に・本当に、ギリギリの5日前になって「残念だけど・・・」とお出かけになりました。
ご住職の無念さに触れて、来年は復活できますように・・・と願うばかりでした。
尚、そばの里深萱ふ~どは、特別な年越しそばは準備しませんが、12月31日(木)のお昼(11:30~14:00)まで営業いたします(定休日は月・火曜日)。
蛇足ですが、そばDa迷人の年越しそば考を一つ・・・。
この地方では、古希越えのそばDa迷人の生まれた頃までのその昔は、年越しそばを食べる風習はありませんでした。
テレビの普及、高視聴率を誇るNHKの「行く年来る年」は、毎年のように年越しそばを食べる風景を放映しました。
日本中で年越しそばが!。
実は・・・これが不味かった!。
理由は簡単です。
この地方では、殆どそばを打って食べる習慣がなかったので、この日ばかりは・・・と八百屋さんで買ってきて食べました。
我が家は、その形でした。
八百屋の大将が、市場に出向き、既に茹で上げたそばを仕入れ、この日ばかりはと店に並びます。
これを、来年こそは・・・と念じて、年越しで食べたわけです。
殆どそばを食べる習慣がなかったため、「そばって、なんて不味い物!」と感じて育ったわけです。
又、手打ちそばをやっている家庭でも、この日ばかりは例外です。
親戚、近所に・・・と、朝から張り切ってそばを打ち、昼から茹でて・・・夜に配る。
これが普通でした。
趣味でそば打ちをしていた当時「家の義母が、長年そばを打ってきたが、どうしても美味しく出来ない。今年の暮れは、美味しいそばを配りたいと言っているので教えてやってほしい」と依頼を受けました。
理由を想定し、相談に乗りました。
何時粉を挽く?、何時そばを打つ?、何時茹でますか?・・・と質問しました。
当時80歳くらいのご婦人は・・・驚き桃の木・・・なんとやらでボクの話を聞いて下さいました。
こんな経験があって、手打ちそばは、いや・そばは、需要があるからと言って対応しようとすれば、美味しいものは出来ない!の考え方を強くしました。
そばの里深萱ふ~どでは、テイクアウトのそばは勿論、茹で前のそばの販売対応もしたことがありません。
偏屈者そば屋!と思われるかも知れませんが、常に自分で美味しいと感じるそばを提供することが、そば好きを作って行く事と信じています。
年越しそばを食べるようになったと言われる所以の説は、色々ありますが、どれも、大晦日に限らないと叶わないと言うものではなさそうです。
それより、世界遺産となった和食の中で、これを代表する健康機能食品のそばを、是非、毎日1食、心がけていただけたら・・・日本の健康平均寿命が延びると信じています。
生意気を言いますが、宜しくお願いします。